「克雪から親雪に」 T.K
昨年12月よりの雪は今日も間断なく降っている。
当地では仕事上、雪を必要とする人もいるがほとんどの人々にとって雪は厳しく、ある面ではいやなものであろう。
今日現在、平地で約70cmぐらい山間部で160cmぐらい積もっているようだ。明日にはさらに30〜50cm積もるであろう。昨年から屋根雪下ろしを何度もやっている。雪下ろしは辛く危険な作業である。北陸の民家は比較的に大きく屋根も広いため雪下ろしスペースも大きくなっている。屋根瓦は滑りやすく、転落事故もあちこちで発生し傷害事故や死亡事故も多いようだ。おまけに雪を下ろしただけでは作業が済まない。下ろした雪を排雪しなけれならないのである。この作業が大変な作業で、雪下ろし作業に精根つきはてた足、腰、肩にさらなる疲労が付け加えられるのである。今日のような日が続くと精神的にも肉体的にも大変厳しい雪との戦いになる。
ところで、お正月、恒例の箱根駅伝をテレビで見ていて感じることがあった。選抜された大学の長距離走者たちが東京箱根間を「たすき」に母校の名誉をかけてリレー走行するものである。平均20km内外の道路や坂道を常人ではできないスピードで走りぬくのである。見ていて面白くまた感動もあった。彼らは1年間、この日のために猛練習を積み重ねてきたに違いない。何事もこうした不断の努力の上に素晴らしい栄誉が輝くのである。
しかし、心中ふっと思った。走っている若者たちのエネルギーは常人の能力をはるかに超えているだろう。普段鍛えることの少ない我々は短時間、シャベルを使うだけでも肩や腰が疲れてしまうのであるが、若し、こうした若人が持っている強力なエネルギーを雪国の除雪作業や雪下ろし作業に振り向けてもらえたら、どんなに素晴らしい事であろうか。当地では屋根に厚く降り積もった雪を見ながらどうすることもできず手をこまねいている人たちが沢山いるのである。この人たちは屋根雪の重みで家屋が今にも倒壊するんじゃないだろうかと恐れながら毎日すごしている。雪を下ろしていない理由は体力的にも精神的にも余裕がないからである。特に高齢者の住宅ではこうした例が多く見受けられる。
スポーツに青春の情熱を傾け母校と自分の名誉のため不断の精進をすることは何物にも代えがたい価値あるものだ。だからこそ、沢山の観客が感動し心から声援をおくるのである。しかし雪下ろしや除雪ではスポーツの種目として認められていないのでやりたくない、ということもあるだろう。当然なことと思う、雪下ろしなんて全く地味で苦しい作業なのだから。しかし若し雪を利用したスポーツであるスキーやトライアスロン、スノーボードなどのように雪下ろしや除雪作業がスポーツとして認められたら、どうであろうか、とも思うのである。このためには、こうした作業をスポーツとして認めるために必要なルールづくりや作業そのものに面白さを付け加えることが必要だろう。
雪合戦などもルール化すると面白い団体競技になるだろう。各地で行われている雪像作りも競技化でき大いに観客の目を楽しませてくれるだろう。我々雪国に住むものは「克雪」、すなわち雪に打克つという言葉より「親雪」雪に親しむという言葉を使いたいものである。
こうしたことを現実化するためにも地域の団結が必要だ。雪が多い日本海沿岸の各県が団結し知事会議でスポーツ界に雪を利用した新規スポーツの採用を共同アピールをすべきではないだろうか。スキーやストックの代わりにシャベルやスノーダンプを使い練習そのものが社会の役に立ち喜ばれ名誉が与えられる。そういった素晴らしいスポーツ種目ができるのではなかろうか。
こんなことを考えていたら、今朝、ドイツのスケート場の屋根が雪の重みで陥没し10数名の犠牲者が出たとのニュースである。おそらく、そこでも雪下ろしが出来ないために、こうした事故を招いたのであろう。よし、こうなったらオリンピックの種目にまでなったらいいな、とも思う。トリノオリンピックは間に合わないが次の次ぐらいには冗談抜きで採用してほしいな、と思うのは私のひとりよがりであろうか。
ボランティアの素晴らしさは、これを受けた人のみならず行う人も人間の真心に感動し、充実感と幸せに酔いしれるところにある。
雪下ろしをやりたくてもやれない高齢者のお宅に「今日は、僕たち○○大学の親雪クラブのものです。お宅の屋根雪を下ろさせてください!」これが現実になったとき私たちの未来はさらに価値あるものであろうと信じさせてくれる。
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